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2009年7月31日 (金)

繁体字と簡体字

 29日の朝日新聞朝刊に、繁体字と簡体字の記事が載っていた。パソコンの普及や中国の識字率向上により、繁体字が復権の兆しを見せている、というものだった。
 パソコンの普及で、というところが、日本の常用漢字表見直しの動きと似ている。台湾が「識正書簡(=繁体字を読み、簡体字を書く)」を提案したというが、日本ではまさに「書けなくても読める」という意図の元に、常用漢字は増えそうだからだ。
 何が正しい漢字か、となると、考え方はさまざまだ。繁体字復権派が漢字の芸術性を重視するなど、見た目の美しさを語る人も少なくないようだ。
 ただ、漢字の最も偉大なところは、それが表意文字であることだと私は思っている。その形の中に「意味」を残すことの意味は、非常に大きいと。皆さんはどうだろうか。

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2009年7月24日 (金)

祖母のこと その2

 助産師という仕事柄、祖母は子どもの健康、とくに栄養には関心があった。
 戦中戦後の食糧難のころ、母の家は8人家族で、育ち盛りの子どもが5人もいた。祖母は、ウサギやニワトリを育て、絞めて食べさせた。乳を搾るためのヤギを飼っていて、えさ(雑草)をやるために母がいつも近所の土手に散歩させていたという。庭で野菜を作り、果樹を植えた。私が子どものころにはまだその名残があり、キンカン、イチジク、ユスラウメ、ビワ、ザクロなど、もいで食べた記憶がある。
 当時には珍しい職業婦人として、とても進歩的な人だったらしい。でも、私と従姉妹が生まれたのをきっかけに、一線から退き、私たちを育ててくれた。
 つくづく思うのは、私たちが見ている祖父母は、第二、第三(第四?)の人生を生きている姿にすぎない、ということだ。誰にでも少年少女の時代があり、壮年期がある。いつも穏やかにほほえんでいたからといって、静かな生涯だったと思いこむのは大間違いだ。

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2009年7月17日 (金)

祖母のこと

 先週、母方の祖母が他界した。
 祖母は助産師だった。私も、姉も、いとこたちも、祖母が取り上げた。弔問に訪れた人の中には「おばあさんに取り上げてもらった」という人もいた。
 火葬場の待合室で、若かりし頃の祖母の話を聞いた。小学校を卒業してすぐ、新聞の求人欄を頼りに名古屋に出たこと。産院で住み込みの従業員をしながら、助産師になるための学校に通ったこと。当時(大正時代)、三重県にいる12歳の女性が単身で名古屋に働きに出ることは、たいへんな冒険として考えられていたこと。26歳で結婚のため帰郷し、助産師として働きながら、5人の子どもを生み、育てたこと。
 盲腸以外に大きな病気をしたこともなかったそうだ。80歳になっても自転車に乗っていた。今年、白寿を迎えたところだった。身内の方を呼んでください、といわれてから十日以上も、家族にお別れの時間をくれた。心臓が止まった後、その生涯に大いに満足するように最後にひとつ深呼吸をして、眠るように逝った。

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2009年7月10日 (金)

日本語を学ぶ

 『日本人の知らない日本語』(蛇蔵&海野凪子 著 メディアファクトリー)を読んだ。この本には、日本人顔負けの、日本語を学ぶ外国人が何人も登場する。
 外国人に日本語を日本語で教える。その大変さは、想像していたのとはまったく違う種類のものだった。日本人以上に日本の風俗や文化を知らないと、日本語教師という仕事は務まらないのだと痛感した。
 先日、地下鉄で見かけた外国人が小さな端末で日本語を学習していた(のだと思う)。多分、漢字を覚えるソフトだと思うのだが、目に入ってきた単語にびっくり。「痺れる」「美味い」「恨む」……痺(しび)れるは常用漢字じゃないし、美味(うま)いは表外の読み方だ。恨(うら)むは常用漢字だけど、読めない日本人だっているよ。
 いや、ちょっと。そんな漢字覚えなくても大丈夫ですよ、と思わず言いたくなってしまった。

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2009年7月 3日 (金)

ひいばあちゃん

 その人の人格は、だいたい何歳頃に決まるのだろうか。もちろん、その年代ごとに形成されるものもあるし、年をとるにつれて変わるものもある。でも「三つ子の魂百まで」というではないか。
 だとしたら、私の人間形成は、祖父母によってなされたのだと思う。明治の半ばから末にかけて生まれた、曾祖母と四人の祖父母。
 曾祖母は100歳の年に、当時の三重県久居市(今は合併して津市の一部となっている)の市長から長寿の表彰を受けた。ひいばあちゃんのいる友人はそんなに多くなかったから、長寿の家系の代名詞のような存在だ。
 曾祖母が亡くなったのは高校2年の夏だった。晩年は全盲だったが、誰の世話も受けず、認知症になることもなく、本当に強い人だった。死の直前まで日常生活を送り、自立した女性だった。ご近所さんに「お悔やみというより、大往生でおめでたいね」といわれた。若かった私は、いくら大往生といえども生きていてほしかった、と思ったけど。
 大往生「(1)苦痛なしに安らかに死ぬこと。(2)りっぱな死」小学館 新選国語辞典 第七版

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