横道まわりみち ~第197回:世田谷線のんびり旅~(6)~
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横道まわりみち ~第197回:世田谷線のんびり旅~(6)~
ボロ市通りには、世田谷区立郷土資料館や、代官屋敷があり、市をやっていなくても来る価値はある。ここでざざっと世田谷区の歴史を流し、ボロ市は天正6年(1578)に楽市が開かれたのが起源だと知る。江戸時代に入って生活や農業に必要なものを扱う場となり、明治中期には草鞋の補強や野良着を繕うためのボロなど、古着が大半を占めるようになり、「ボロ市」の名が定着した。つまりこの市は、長い間この辺りが農村地帯だったことを示す名残だというわけ。
上町駅を目指して歩いている途中、また迷ってしまい、50代後半ぐらいの女性に道を訊ねた。
「あの、世田谷線に乗るにはどう行けばいいのでしょう」
「…ああ、玉電のことね」
玉電とは、旧玉川電気鉄道のこと。明治40年(1907)に道玄坂~三軒茶屋間が、続いて渋谷~玉川(現在の二子玉川)が開通した。後の大正14年(1925)には玉川線の支線として三軒茶屋~下高井戸間も開通。ただし、戦後のモータリゼーションや、首都高建設ラッシュ、新玉川線の開通計画などにより、昭和44年(1969)には三軒茶屋~下高井戸間を除いてすべての路線が廃止となる。この路線が残されたのは、専用軌道があり、代替バスを運行できる道路がなかったから。これを機に「玉電」という名称は消え、三軒茶屋~下高井戸間は「世田谷線」と新しく名まえをつけられた。
以後40年近く経ったわけだけれど、「玉電」の愛称に親しんできた人たちには、新しい名称はちょっと長くて呼びづらくて、まだピンとはこないのでしょうね。
(文・写真/堀径世)
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